##なかなか酷くとても面白そう!!!!!!!##
◎‥この本で調査され推理されていることを、その奔放なイマジネーションの翼に合わせて短くまとめるのはとうてい不可能だが、数年前の過日の一夜、このやや分厚い一冊を読みながらマーキングなどしていたとき、さまざまな思案が去来して、ぼくにも鮮明な長江文明像が浮かび続けていたこと、いまでもありありと思い出せる。
扱われているのは、長江上流域に広がっていた古代巴蜀文化である。現在の四川省あたりに蜀(しょく)と巴(は)の古代文化が栄えた。その担い手たちや風土をまとめて巴蜀(はしょく)という。四川はいまでも二つの中心、成都と重慶があるのだが、そのうちの蜀が成都を中心に広がり、巴が重慶を中心にして勢力をもっていた。
◎‥蜀は、いまうまでもないだろうが、むろん三国時代の劉備が諸葛孔明の「天下三分の計」にもとづいて入蜀した、あの蜀のことである。そうではあるが、それ以前にすでにマジカルな地として『淮南子』や『山海経』に登場していた。
一方の巴は、その『山海経』海内経に「西南、巴国あり」と記された国で、巴人たちが古来このかた建木を崇(あが)めたと伝えられてきた。建木は神樹のこと、日神の木といわれてきた扶桑のことをいう。
◎‥本書はその長江上流の巴蜀の国々を、古代に立ち戻ってさまざまに踏破しつつ、禹(う)の足跡の背後にひそむものを蘇らせたスリリングな本だった。夏王朝の創設王であり、各地に禹歩(うほ)伝説をのこした禹について、夏王朝のほうからではなく、意外な視点から新たな仮説を提出してみせた。
意外とはいえ、そもそも皇甫謐や孟子が「禹は石紐に生まれる、西夷の人なり」と紹介していたわけでもあって、石紐は汶山郡広柔県、あるいは北川県の岷山(みんざん)付近のこと、いずれも四川なのである。本書はそうした禹跡の地域をただならない想像力をもって渉猟してみせた。
◎‥著者は早稲田大学で中国古代歴史を教えていたセンセイである。本書を刊行したときが77歳だった。しかしその旺盛な調査研究熱は円熟して凄まじく、早稲田大学長江流域文化調査隊として初めて四川の天回山に立って、成都の平原をはるばる望んだのが67歳だった。
ぼくはこのセンセイが『神話と古代文化』(雄山閣)というスサノオ伝説を中国的に解きまくった大冊にも、大いに酔った。
ただしこのセンセイ、文脈が次々に翔ぶ。それも細部が超部分になって別の細部に飛んでいく。だから、アウトラインを紹介するというのは、いささか難しい。以下の啄(ついば)みにおいても、古代中国を低空飛翔する香りの速度のようなものを感じるにとどめてほしい。

