##とんでもなく酷く激しくあまりにも面白過ぎる!!!!!!!##
元原発技術者 菊地洋一
はじめに
私が原発を建設するために、米国GE社の子会社GETSCO(ゼネラル エレクトッリク テクニカルサービス カンパニー・後のGEII)に就職したのは、仕事上の師でもあった先輩から「原発建設の仕事は原子力の平和利用なので、本当にやりがいのある男冥利な仕事である」と、強く説得されたからでした。
その先輩の原発にかける情熱はとても強く、被爆都市広島の出身者ならではのものでした。
GETSCOから勧誘されたのは、第1次オイルショックで石油の値段が倍増し、石油製品の床建材は市場から姿を消し、トイッレトペーパーの買占め騒動が起き、日本経済が大混乱をきたしていた時期のことです。
石油資源をほとんど持たない日本が、石油の代替エネルギーを必要としていたのは当然のことでしたので、私だけではなく日本中の人たちが「原発の安全神話」を受け入れ易い時期だったのでしょう。
「私にとっての広島」は、私を原発に誘った先輩の出身地であり、被爆の悲惨さ故に、人間の愚かさを常に考えさせてくれる都市でもあります。また、「私にとっての原発震災」というのは、日本中の原発及び関連施設ならどこでも起こり得るのですが、現時点で特に気になるのは東海地震による浜岡原発震災です。
去年は、2回、浜岡原発裁判の裁判長を現場に案内しましたが、大事なところはどこも放射線レベルが高く、現場での十分な説明は出来ませんでした。私が、宮崎県から静岡県の浜岡にわざわざ出向いたのは、浜岡原発が全基ともGEの沸騰水型原発で、巨大地震時には巨大事故を起こす可能性が高いことを、電力会社や国の役人の誰よりも具体的に詳しく知っているからでした。
「原発震災」という言葉は、神戸大学の地震学者である石橋克彦教授の造語です。巨大地震による震災に原発の放射能事故が重なると、非常線を張られますので、救助も思うようには出来なくなり、想像を絶する大惨事になってしまうことを言います。
「広島と原発震災」というタイトルについて、この2つは特に関係はなさそうですが、そうとは言い切れないのです。「元広島市長平岡敬と原発震災」とすべきですが、その訳は後述いたします。
原発と原爆
「原子力の平和利用」はまやかし言葉と思いたくなるほど、「核エネルギーの利用」には秘密が多く、危険に満ちています。危険なのは、原爆や原発の強力な破壊力と熱エネルギーに加え、悪魔が変身したかのように長命な放射性物質を生み出すからです。
放射性物質は、α線(ヘリウムの原子核)β線(電子)γ線(電磁波)として肉体に作用して細胞を破壊し癌化させるだけではなく、遠隔操作で権力欲の強い政治家や軍人、学者や実業家の精神を狂わす能力をも合わせ持っています。
そのような訳で、とても人類に平和をもたらすものとは思えないことを、核爆弾の例で見てみたいと思います。「日本は原爆を持つべきだ!」と考える政治家や軍関係者は多くいるのです。
朝日新聞(2006年10月19日夕刊)によると、当時の外務大臣で次期総理大臣を目指している麻生太郎は、核保有に関しては「議論が大事」と国会で発言しました。被爆国の外務大臣が言うことかとあきれてしまいます。しかし、有事法制が閣議決定された翌年(2003年)の衆議院議員アンケートでは、「核武装を検討すべき」が17%で改憲派の3分の1を越していたのですから麻生発言も不思議ではないかも知れません。
辞任したばかりの安倍晋三総理が副官房長官の時に、爺さんの岸総理の「戦術核を使っても、違憲ではない」(昭和35年の答弁)と同様の考えをもっていましたが、自民党の各派閥が押す次期総理候補の福田康夫氏も、「非核3原則」見直しに通じる発言をしていることを思うと、切なくなります。
日本の核保有論者の代表的存在は、巣鴨プリズンから政界に復帰した元総理だった岸信介氏でしょう。
「核兵器を持たない国は一流国ではないんだな…核兵器を持たん国は威信も発言力もない」。この発言は、「週間文春」昭和47年4月17日号に載った、岸氏と草柳大蔵氏との対談の1部です。
かつて、「1発は原爆を持った方がいい」何故なら「持たないと他の国に対して睨みがきかない」と発言したのは、石原慎太郎東京都知事。しかし、岸氏も石原氏も原爆を実際に使用することまでは考えていなかったと思います。
中曽根康弘元総理は、原発に初めて予算(1954年)をつけた人ですが、若き海軍主計中佐だった彼は、広島原爆投下のきのこ雲を対岸の四国から見て「これからは原子力の時代だと思った」(ほんとかな)そうです。
日本で原発を建設するには、原爆と不可分だから米国との交渉が必要で、そこで動いたのが「読売」の正松松太郎氏です。日本の原子力の父と呼ばれています。
今は廃炉になりましたが、日本初の商業用原発は東海原発1号炉で、英国から輸入された炭酸ガス炉です。建設はブリティッシュGEが監督にあたりました。軍事・平和両用の原発です。この炉で原爆が何個造れるかを極秘のうちに検討されていたことは、あまり知られてはいないようです。
私が最初に取り組んだ東海2号炉は軽水炉ですが、だからといって原爆と無関係とは言い切れません。プルトニウムは軽水炉の使用済み燃料から取り出されるのですから。日本ではすでに原爆を大量に造れるだけのプルトニウムを所有しておりますし、英仏のみならず国内でも生産を続けています。
今年の11月からは六ヶ所村の再処理工場が本格的に操業され、プルトニウムはどんどん増え続けます。北朝鮮はじめ東南アジア、中近東のイラン、イラク等の国々では到底考えられないことです。
今年の夏、米国がインドとの原子力協定に合意し、使用済み燃料の再処理を容認しました。昨年3月に米国はインドの核保有を容認し、原子力の技術協力を行うことになりましたが、日本政府までもが経済関係を優先させてインドの核保有を容認するとは、全く情けなくなります。
子供の頃に見た原爆の悲惨な絵や映画のシーンは強烈です。特に「父ちゃん母ちゃん ピカドンでハングリー ハングリー」と、米兵に物乞いする少年の姿は今でも忘れることができません。最近、テレビで『裸足のゲン』が上映されましたが、原爆や戦争の悲惨さを伝える努力は、これからは今まで以上にされなければならないと思います。
話が少しそれてしまいましたが、30代の私は「原子力の平和利用」なる言葉について深く考えることもなく、単に、戦争目的に対する平和利用くらいにしか捉えられませんでした。しかし、今では、核保有国を例に出すまでもなく、原爆と原発の関係は世界の常識です。自分はなんと浅はかだったのだろうと強く反省しています。
もし、日本の巨大原発や高速増殖炉や核燃料再処理工場が最悪の事故を起こせば、チェルノブイリ原発事故をはるかに上回る地球規模の大惨事となります。
広島・長崎といえば原爆、原爆といえばどうしてもアインシュタインの顔が思い浮かびます。彼はナチスドイツを念頭に、原爆の製作に協力したのですが、日本に投下されたことを悔やみ、バートランド・ラッセル氏や湯川秀樹博士らと生涯にわたって、核廃絶に尽力しました。
アインシュタインは死ぬ前には、今度生れてくるときには、物理学者ではなく配管工がいいと話されたそうです。
それにつけても、日本政府の核廃絶への意欲のなさには驚かされます。
特に、原爆記念日の広島市長につづく首相の挨拶には、毎年のことながら幻滅させられます。なんで、米国に核廃絶や非核3原則を訴えられないのか、情けなくなります。
近年、原発と関係が深い劣化ウラン弾の使用が世界的な問題になっていますが、被爆国である日本ではほとんど話題にならないのは不思議です。東京の「タンポポ舎」が熱心に取り組んでくれてはいるのですが…。
チェルノブイリ原発事故もふくめて、放射能事故の悲惨さから目をそむけてはならない。私たち日本人が「他人事ではなかったんだ」という日が、確実に近づいている根拠がいくつもあるからです。

